いらっしゃい。今日は……ふむ、特にどうという顔じゃありませんね。いい日でも悪い日でもない、普通の日。それはそれで、来てくれてうれしいですよ。そういう日には、ジンバックを作りましょう。
ジンにレモンを搾って、ジンジャーエールで満たす。以上です。……はい、どうぞ。軽快で、生姜がピリッとして、すいすい飲める。夏の酒だと思われていますが、冬に暖かい部屋で飲んでもうまいんです、これが。
生姜というのは、薬味の世界の大御所です。体を温めて、胃を起こして、目を覚まさせる。派手な効き方はしないけれど、和食にも中華にも菓子にも顔を出す。
生姜の入っていない食文化を探すほうが難しい。ジンバックがどこの店のメニューにもあるのと、同じ理屈です。すごみのある平凡、というものが世の中にはあるんです。
バックというのは雄鹿のことでしてね。蹴り、という意味合いもあります。蒸留酒を柑橘とジンジャーエールで割ったものを、まとめてバックと呼ぶ。ジンで作ればジンバック。
ウォッカで作って銅のマグカップに入れると、これが急に出世してモスコミュールと名乗ります。ラムでもウイスキーでも作れる。いわば、割り方の姓です。
姓が同じで、名が違う。人の世の兄弟と同じで、家風だけ共有して、中身は別人です。ジンなら薬草の香りできりりと、ウォッカなら無色で素直に、ラムなら陽気に、ウイスキーなら少し渋く。
ジンジャーエールとレモンという家風が同じというだけで、性格はてんでばらばら。「バック系なんてどれも一緒でしょう」と言うと、全員から叱られます。家がいっしょでも、人はいっしょじゃない。ご実家の集まりを思い出していただければ、話が早い。
ところで、うちの店はバックスペースですから、名前だけ聞くと親戚のようですが、あちらは雄鹿のバック、うちは後ろに下がるバック。
綴りからして別物です。これに初めて気づいたお客さんは、だいたい一度、今あなたがしたのと同じ顔をします。
さて、このジンバック、正直に申し上げると、気の利いた逸話がほとんどありません。誰それが誰のために作ったとか、文豪が愛したとか、コンテストで優勝したとか、そういう札が一枚も付いていない。
いつの間にかどこの店にもあって、誰もが普通に頼んで、普通にうまい。それだけの酒です。
でも私はね、こういう「逸話のない酒」を、けっこう尊敬しているんです。
逸話というのは、要するに事件です。誰かの死とか、戦争とか、大恋愛とか、劇的な何かがあったから、物語として残った。裏を返せば、逸話のない酒というのは、事件の力を借りずに生き残ってきた酒なんです。
物語の後ろ盾なしに、味と飲みやすさだけで百年、カウンターの席を守っている。これは、なかなかできることじゃありません。
人の一日にも、同じことが言えるでしょう。今日のあなたのような、事件のない日。話すことが特にない日。日記に書くことが見つからない日。ああいう日を、人は「何もない日」と呼んで、少し軽んじます。
でも、事件がなかったというのは、事故もなく、喧嘩もなく、悪い報せの電話も鳴らず、失ったものが何もなかったということです。それは空白じゃなくて、静かな上出来です。
歳を取るとわかりますが、あとから恋しくなるのは、劇的な日じゃないんです。何も起きなかった日の夕方の台所とか、いつもの帰り道の匂いとか。
ああいうものが、いちばん取り返しがつかない。事件は思い出になりますが、平穏は、過ぎてからしか値段のわからない財産です。
日記の話をしましょうか。うちの常連に、十年日記を付けている人がいます。書くことがない日はどうするのか聞いたら、「天気と、飲んだもの」だけ書くそうです。「晴れ。ジンバック」。一行で終わり。それでいいんだと言っていました。
十年分をめくると、「晴れ。ジンバック」の行が点々と続いていて、それがなぜか、とてもいい人生に見えるんだそうです。わかる気がします。人生の背骨になるのは、事件の行じゃなくて、ああいう定点の行なんです。
だから今夜は、乾杯の理由なんかなくて結構。強いて言うなら「今日も何も起きなかった」に乾杯しましょう。世界中の祝い事の中で、いちばん地味で、いちばんありがたいやつです。
……おかわりは同じものでいいですか。ええ、それでいいんです。逸話のない酒は、二杯目の顔も一杯目とまったく同じです。そこも含めて、信用できるんですよ。
また明日、灯りをつけておきます。