中年の危機、ミドルエイジクライシス
40代もそろそろ半ばなので、ちょっとこれについて書いてみます。
まず、用語解説から。
主に40〜50代の中年期に、これまでの人生や現在の自分の立ち位置に対して、「このままでいいのだろうか」「自分は本当にやりたいことをしているのか」といった疑問や不安、虚無感を抱く心理的な状態を指す用語です。
社会的にはある程度の安定を得ているにもかかわらず、内面ではアイデンティティの揺らぎや、人生の意味への問い直しが起こるため、「第二の思春期」とも呼ばれているようです。

2024年12月30日の景色。Amexのポイントをうまく使って、マリオットのポイントに移行、そして無事に念願のリッツカールトン東京。これぞクレカ術。
皆さんはどう?
仕事も順調、老後資金の計画も万全、体も健康で、お酒が毎日おいしい、わりとストレスフリーな日々を送っています。
この記事を訪れた40代の皆さんはどうでしょう?
仕事関係では、いつだって文句からくる愚痴があると思います。そしてコントロールの必要な感情、人間の卑しい妬み・嫉み・僻み・恨みに尽きることはありませんが、そこはまあ抜きとして、20代、30代のときと比べれば、わりとストレスフリーじゃないですか?
20代・30代は、ビクビクしていることが多かった。
ほとんどは知らないこと、経験則不足などが原因で、その心理的ストレスが大半を占めていたと思います。でも、40代になると、わりと仕事ができるようになっているんですよね。
何より、経験値がある。
だから、新しい仕事が入っても「たぶんこのパターンだろう」と、昔の経験則を組み合わせてそつなくこなしてしまうので、初めてではないような気持ちで臨んでしまいます。
だからこそ、そこに変化がないように思えてしまうのかもしれません。
トラブルがあっても、冷静に対応している自分がいるはずです。20代・30代のポンコツな自分を今でも思い出します。
ああ、このパターンなら何もできなかったよね。聞いたら自分で考えろ、聞かなかったらなんで報告しないんだ。どちらを選んでもクソ上司から怒られるルートは避けられない。私もそんな日々がありました。
そうやって理不尽な叱りを受けてきたのにも関わらず、いま同じことをしようとすれば、すぐにパワハラになります。なんと残念な世代なのでしょうね。
ミドルエイジクライシスの正体
いつものレストランの常連さんに「ゆうちゃんは悩みないの?」と言われました。
最近の悩みといえば「事務所の冷蔵庫の閉まりが悪くて、冷気が漏れているのが最近の悩みです」といって笑われました。
とはいえ、8年ぶりに友人たちと会って酒を飲んだ2025年の春ですが、会話に耳を傾けながらも、視点は不意に引き離され、あたかも一眼レフカメラのファインダー越しに全体を見渡すかのように、集まった仲間たちの姿を客観的に眺めてしまいました。
ああ、みんな年取ったなぁ(まあ自分もだけど)と、感じた瞬間がありました。
まるで、タイムマシンに乗って未来に来たような感覚がそこにありました。もう、いまはこの時間軸なんだと思うと、なんとなく言葉に言い表せない気持ちになり、目の前に注がれているワインの飲むスピードが上がってしまいました。
ひとりひとり平等に与えられた時間だけは、誰にも逆らえない。なるほど、この気づきでミドルエイジクライシスの要因がわかりました。
ここまでの流れを要素分解をしてみましょう。
- 変化はあれど、変化の感じ方が鈍くなっている
- それゆえに、流れる時間も早く感じてしまっている
- 加えて、時間の経った現状を見つめなおしてしまった
- ゆえに、本当に今のままでいいのかを感じてしまうようになる
これがミドルエイジクライシスが起きる思考フローなんだろうと考えます。
論語には何と書いてあった?
現状維持が目標。昔のように夢を目指すな。それでいいんだと思います。夢はおおかた叶ってしまっています。焦らず、比べず、ここでは「継続は力なり」の戦略で進めていく。
ようは、40代に必要なのは50代のために必要な忍耐力を磨く時期なのかもしれません。
そうすると、人生の味わいというものもきっと出てくるんでしょう。焦らず、比べず、ここでは「継続は力なり」で静かに前進する。
と、ここまで推察をして、ふと思い出したのが孔子の論語。
40代はなんだっけ? と読み返してみたら「四十而不惑」なので、もともと40という年代は迷うものなのかもしれませんね。
四十にして迷わず → ここは迷うので、それを克服しろ。孔子もミドルエイジクライシスのことを知っていたのかもしれません(知らんけど)
元気になる動画紹介
最後に、大好きなみっちーのアニメ内にある「スナックあいまい」のミドルエイジクライシス撃破動画を置いておきます。
意味ナッシング・フォーザ・ピーポー。意味ないことをしまくりましょうw