左手首を骨折、入院・手術と術後の記録です
2018年5月11日(金)の午後2時ごろ、赤坂の路上で転倒し、左手首を骨折しました。事故の詳細を記載すると、実に情けないものです。
骨折からクリニックまで
TBSすぐのマルエツスーパー(今は赤坂Bizタワー内に移動しています)で、ふきんソープやテーブル用アルコールスプレー、お菓子などを買った帰り道、背後から黒い何かが急接近し、複数の羽音でカラスだと気づくと、逃げようと走り出したのはよかったのですが、別のカラスがまた急降下、振り払うと同時にバランスを崩して…。
といった具合です。
中学の頃からなぜかカラスに襲われることが多いため、そんなオーラ(気)を発しているのかもしれません。
転倒直後、やってしまった(折った)ことに確信があったので、痛みに悶えながら母にSOSの連絡を入れ、祖父母がリハビリで通っていたクリニックに連れて行ってもらいます。
36にもなって、母にお医者へ連れて行ってもらうとは……。
いとこが整形外科の看護師だったので、以前より骨折は時間との戦いということを聞いていました。恥ずかしい、情けない、などと言っている暇はなかったわけです。
骨はすぐ元に戻ろうとするので、変に戻らないよう早期固定しなきゃダメ!
クリニックはかなり混んでいましたが、レントゲンを撮り、ギブスで腕全体を固定してくれるまでの処置は早かったです。
さすがは母の行きつけ。事前に連絡を入れてくれたので、母に感謝です。
診察室に入るや否や、レントゲン写真を見ていた先生はすぐに「これは要手術ですね~」と残念な宣告を受けます。そして、手首のスペシャリストがいる病院の紹介状を書いていただき、その日は終わりました。
転倒して骨折してからギブスをするまで、およそ3時間で処置完了。早期ギブスができて、不幸中の幸いでした。ギブスをすれば、痛みはもうありません。
その日の夜に患部がやたら熱くなっていたので、ギブスをしていなかったら、どれだけ強い痛みがあったのか、想像するだけゾッとしました。
いざ病院へ
翌日の土曜日、紹介状を持ってその病院へ行きます。
朝の8時半に行ったのですが、診察、入院&手術宣告を受けたのは、その3時間後です。土曜日の午前中、整形外科は本当に混みます。
受付終了時間となった12時より、手術前検診を行いました。
手術前にエイズ検査もするようで、心当たりはないにせよ、陽性だったらどうなるの? という別の不安もよぎります。なにより、手首骨折の手術は<全身麻酔>ということで、この四文字熟語がかなりの不安要素となりました。
「来週の月・火・水で入院しましょう。手術は火曜日ね」
事故発生から入院手術まで、とても短時間で本当にラッキーだったなと思いました。
ただ、この土・日は人生初の手術&全身麻酔ということで、生きた心地はしませんでしたけど、メンタルはコントロールできました。
マーク・トウェインの本で、このような言葉を思い出したのです。
勇気とは、恐怖に抵抗することであり、恐怖を克服することである。恐怖を抱かないことではない Courage is resistance to fear, mastery of fear – not absence of fear
火曜日にならないと恐怖に抵抗できないのだから、克服もできない。
だから不安に思っても無駄なあがきにしかならないから、片手で仕事でもしていよう。そんな論理で自分の不安と戦いました。
いざ、入院
入院1日目の月曜日。急激に気温が上昇した日でした。最高気温29℃。5月にしては暑すぎです。
出張専用のカバンに着替え・コップ・お箸・髭剃りなどを入れ、病院へは一人で行きました。すこぶる元気な状態で、病室のベッドに寝る。
変な感じがしましたね。
病室は6人部屋でしたが、幸いにも患者は1名しかいなかったので、自分を含めて2人だけ。かなり快適な入院でした。
麻酔技師、手術看護師と別々にきて、手術の手順を教えてくれます。特に麻酔技師の先生は、全身麻酔に関しての不安を一掃してくれるコミュニケーションを取ってくれました。
先生からしてみれば、何十回、何百回と説明をしているのですが、不安を持った患者ははじめての説明です。講師として、これは見習わなくてはなと思いました。
血圧測定、検温をしてくれる看護師さんから、21時までは飲食自由。
21時を過ぎたら、翌10時まで1リットルしか水を飲んではいけません、という手術前の食事制限を伺ったとき、亡くなった祖母のことを思い出しました。
(1リットルも飲めるのかぁ。ばっちゃんは、1日氷6個ぐらいしか駄目だったよな……)
夕食後、何もすることがなかったので、手帳を開いて現状をまとめることに徹してみました。これからのこと、エクセル布教活動、今抱えている仕事のまとめ等々……。
いい暇つぶしにはなりました。
入院2日目の手術日
火曜日。
朝食もなし、10時以降は水も飲んでは駄目。恐怖を克服できる日になりましたが、午前中はディケンズの二都物語が思い出され、処刑台ラ・ギヨティーヌに並ぶ人のような感覚になりました。
10時から点滴開始。右腕も封じられます。
手術予定は13:30。けれども30分遅れの14時スタートでした。家族の誰かが要付き添いでしたので、父に手術室前で待ってもらい、ドキドキしながら手術室へと入ります。
看護師さんに、全身麻酔初めてなんですよと言うと、「8秒までは絶対数えられないので、気を紛らすために数えてみるといいですよ」と教えてくれました。
麻酔技師に言われるがままベッドに寝て、看護師さんたちがささっと手際よく手術の準備に取り掛かります。部屋ではサザンの「波乗りジョニー」が流れていました。もうこの曲を聴くたびに「愛」ではなく「全身麻酔」の思い出が蘇るでしょうw
麻酔技師さんはずーっと僕に話しかけながら、手際よく点滴から全身麻酔をしてくれました。右腕からじわりと沁みてきて、こめかみのあたりから薬が効いてきた感覚を得ました。
まだ意識があり、こう言いました。
「なるほど、こんな感覚なんですね」
「感じてきましたか?」
「はい、おやすみなさい」
看護師さんたちも全員笑ってましたね。麻酔技師さんのすごく太い声で、
「おやすみなさーい」
と返答。その言葉を聞いた直後、意識喪失しました。
目覚めはあっという間でした。夢も見ない。ああ、もう終わったのかという感じ。自分のベッドにいっせーのせで体ごと移され、病室へと戻されました。
その際、船酔いで気分が悪くなったような吐き気に襲われます。と言っても、5分程度だったかな。ダイビング中の波酔いを消すように精神集中すると、自然と収まっていました。
母、叔父、父がいたのを覚えています。何を話したか記憶になく、僕の意識が戻るとすぐに3人は帰りました。
あとで聞いた話、3時間も手術室の前で待ってくれたようで、待ちくたびれたので声を聴いたらそのまま帰ったとのこと。確か、時間は午後6時頃だったと思います。
本当にご心配をおかけいたしました。
術後の痛みを遅らせるため、左肩から伝達麻酔がされていました。一切の感覚なし。腕ごと吊るされたまま、21時から水を200mLほど飲んだだけ、その日は終了となりました。
入院3日目
水曜日。地獄のはじまりは午前3時です。
正座をしたあとの足のしびれが取れていくように、感覚のなかった腕からじわりじわりとしびれを感じました。そのしびれが取れると同時に、燃えるような痛みが襲います。
悶絶です。寝れなかった。
痛みを和らげるために、座薬を打つこともできるからという情報はありましたが、同い年ぐらいの看護師さんに座薬をしてもらうのもなんだかあれで(語彙力)、プライドと痛みを天秤にかけて痛みが勝ったらナースコールで呼ぼうと思い、一人我慢大会のはじまりです。
いやもう、絶望でした。
人生で一番の痛みは、急性扁桃腺炎のときののどの痛みと頭痛でしょうか……この左腕の痛みは、1位にランクインしました!
記念に、激痛時の痛みを保存しておこうと写真に撮っておきました。
何か人生でつらいことがあったら、この写真を見て、あのときの激痛を思い出すことにします。
午前10時に退院前の処置をして、無事に退院。こんな激痛があるのに退院とは、いささか信じがたい気分ではありました。
激痛に悶えながら、退院時の金額は165,100円のお支払い。人生の罰ゲーム以外、なにものでもありません。日頃の行いが悪かったのでしょう。
転んだだけで、総額190,000円近い出費になろうとは……。
高額医療費制度の申請を忘れずに行い、郵便局で入ったかんぽ生命に保険申請をすれば、多分今回のカラス傷害事件における損害はカバーできるかなという見積です。
エイズ検診も問題なく、こちらもなんというか一安心ですね。
クライアントさんもみんな心配してくださり、仕事もほとんど6月からの開始で問題ありませんという許可も得ているので、比較的緩やかに過ごしたいと思います。
以上、骨折から手術までのログでした。