責任感が、命を奪うことがある
熊本で、最大震度7の大きな地震が起きました。そして地震のあと、イオンモール熊本で爆発が起き、7人が亡くなったと報道されています。地震でガスが漏れていたとみられています。
そのなかに、Xでも投稿が加熱した出来事がありました。22歳の店員さんが、一度は外に避難したのに、「金庫にお金を入れないといけないと言われたので戻る」と言い残して建物に戻り、爆発に巻き込まれて亡くなってしまいました。
なんともやるせない気持ちです。「命よりも金か!」という投稿が、かなりあふれていました。
報道を読むと、戻ったのはこの方だけではありません。「火事を防ぐため」「私物を取りに」―― 一度避難したのに建物へ戻り、爆発の1、2分前に外へ出て間一髪で助かった従業員の証言もあります。
現時点の報道によれば、亡くなった7人は、いずれもテナント店舗の従業員だったそうです。
この出来事でやるせないのは、「金庫にしまってきて」と言った側を、責め切れない自分がいるからです。もし自分が営業部長の立場だったら、同じことを言っていたかもしれない、と思うのですね。安全第一ではあるけれども、雇われの身である以上、管理者としてはお店の売上金がどうしても気になる。
安全は第一。でも、売上金も気になる。
この二つは、平時の頭のなかでは矛盾なく同居してしまいます。ましてや、つい1時間前までお客がいたエリアに、壊滅的なガス爆発が起きるとは到底想定できるはずもない。
そして肝心であり厄介なのが、災害が起きたリアルタイムでは「いまが有事である」ということを認識できないことです。
地震は起きた、でもまさかガスが漏れていて、その少しあとに建物を吹き飛ばすほどの爆発が起きるなんて、到底イメージもできない。売上金を「安全なところに」しまわせようとした判断が、結果としていちばん危険な場所へ人を向かわせてしまった。
もちろん、擁護する気はありません。管理者は結果責任を負う立場です。ただ、結果があまりにも悲劇でした。冷静にものごとを考えるために、話は東日本大震災にフォーカスを当てます。
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14時46分、地震が起きました。東京は、震度5強と5弱の間ぐらいだったと思います。
ただ、長かった。体感として、1分ぐらいは揺れていたはずです。私はWordの講座の最中でした。部下を育成するために、自分自身がサブ講師として講座に当たっていました。
で、これはまずいと思って、受講生全員、隣の小さな公園に避難しました。しばらくそこで待機したんですね。余震が何度も続いていましたから。だから、15時半ぐらいまで避難していたかな。
職業訓練校だったので、命令なしに解散を出せなかったんです。受講生の給付金は税金ですから、出席管理も厳しい。1日6コマ、遅刻することなく出席しなければ、給付金はもらえません。かつ、私はまだ20代でした。そこまで人生経験豊富じゃない。
振り返れば、本当に公園が近くてよかったです。30人を動かすのは大変でしたし、いま思えば、落下物やガス爆発などもなく、あのとき誰も死ななかったのは運がよかっただけ、とも思えます。
そのとき、癖のある受講生のひとりが、私にこう言いました。
「榊先生、いまは授業を続けず、全員を解散すべきだ。解散したら、先生に責任がなくなるから。」
確かにそうだな、と思った次第です。教室に30人が留まっていること自体、リスクが高い。30人をいま自由に帰宅させたほうがいい。当時まだ20代だった私には、本当にありがたいアドバイスでした。
講座は17時まで、けれども教室に戻ってすぐ、受講生を解散させました。ちなみに社長との連絡は取れませんでした。だから、越権行為でもあります。ただ、責任の荷物を下ろすという災害時の危機管理を、受講生から教えてもらったわけです。
「皆さん、余震はまだあるかもしれません。気を付けて帰ってくださいね。では、皆さん、必ず来週会いましょう。さようなら」
そして、あの日のことを思い返すと、みんなどこかで「巨大地震はもう起きたのだから、もう起きないだろう」という感覚で動いていましたよね。安全確認のため、電車はすべてストップ。飲んでいれば動くだろうといって、居酒屋に入っていく人たちのなんと多かったことか。
電車が止まっているだけ、ライフラインは動いているので<有事>ではなかったんでしょうね。
あの日は金曜日でした。土日を挟んで、もう大丈夫と思っていた人が多かったはずです。月曜日の駅は大変なことになっていた。電力供給がままならず、電車が間引き運転をしているのに、原発は大変なことになっているのに、それでもいつもの時間に出発する。
自分を含め、まるで呪われた人々でした。
- 会社に行かなければ…
- 有休を使ってしまうことになる…
- こういうときでも出社することが社員としての鑑だ…
- 自分がいないと会社が回らない!
あの時の自分に言いたいですね。
- 無駄な移動をするな
- 実家を守れ
- 余震はまだ起きる
当時のスマートフォンはiPhoneぐらいしかなくて、情報源はニュースとラジオだけでした。それでも人は、まるで仕事が命よりも重要であるかのように、呪われたように職場へ向かってしまう。
「榊先生、知っているかい? 放射能の雨ってのは、黒いんだよ」。聞き流してはいましたけれども、ボーンと水素爆発していましたからね。
責任感というものが、災害時には、命を奪う側に回ることがある。
- 売上金への責任感
- 持ち場への責任感
- 出席管理への責任感
- 出社への責任感
平時にはどれも「まじめさ」として評価されるものが、有事には人をいちばん危険な場所へ向かわせる力として働いてしまうのでしょう。繰り返しになりますが、有事が起きても、いま有事のスイッチが入ったという自覚を持てません。
ここがいちばん怖いところです。
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だからこそ、災害時の対応は、その場の判断や責任感に委ねてはいけないのだと思います。あらかじめ決めておく。マニュアル化しておく。
- 震度いくつ以上なら、金銭や設備より先に、全員が建物から離れる
- 解散の基準を決めておき、基準を満たしたら現場の判断で即解散してよい
- 「戻る」作業は、安全確認が取れるまで一切行わない
マニュアルを徹底するしかない。ルールを理由にするしかない。
要するに、有事のスイッチを、人の判断ではなくルールに押させるということです。あの受講生の「解散したら責任がなくなる」という言葉は、裏を返せば「解散のルールさえあれば、先生は責任感と安全を天秤にかけずに済む」ということでもありました。
ただ、このマニュアルも災害を体験した人としていない人では、温度差がどうしても出てしまう…まあ、ここは考えるのを辞めましょう。今の自分には、嵐のときに田んぼに様子を見に行ってしまう気持ちが、いま痛いほどわかる気がします。イメージできるからです。
突然の出来事に、人はパニックになります。そして、突然の出来事のあとにも、パニックは形を変えて続きます。たとえ安全な場所にいたとしても、「いまが有事だ」とは、人はなかなか認識できないということを知っておく。そして、認識できない前提で、平時のうちに決めておくこと。それに尽きるのだと思いました。
以上、熊本地震のニュースを追っていて、自分のもやもやとした考えをまとめておきました。東京にいる自分にできるのは、募金という支援ぐらいですが、被災地の一日も早い復旧を切に祈っています。