社会保障と年金は維持できるのか
Sustainability「年金は維持できるのか」「社会保障は破綻しないのか」という問いは、この講座で最もよく聞かれる質問のひとつかもしれません。この問いに、一言で「大丈夫です」とも「危険です」とも答えることはしません。かわりに、「維持できる」という言葉が実際には何を指しているのかを分解し、これまでの章で見てきた数字を並べ直すところから始めます。数字は同じでも、どこに焦点を当てるかで、聞こえてくる印象はまるで違うものになります。
「維持できるか」は定義次第
日本の年金はこれからどうなるのかで見たとおり、「維持できるか」という問いには、実は2つの別々の問いが混ざっています。制度そのものが存続するかという問いと、今と同じ給付水準を維持できるかという問いです。ニュースの見出しは、この2つを区別せずに使うことが少なくありません。
5年に1度行われる財政検証(年金制度が長期的に維持できるかどうかを、複数の経済前提のもとで国が点検する作業)では、標準的な経済前提のもとで、制度そのものが完全になくなるという意味での破綻は想定されていません。年金保険料を納める人がいる限り、その保険料を高齢者への給付にあてるという賦課方式の仕組み自体は、形を変えながらも続いていく、というのが一次資料から読み取れる姿です。「年金は破綻する」という言い方をするとき、多くの場合はこの制度存続そのものよりも、次に見る給付水準の話を指していることが多いようです。
一方で、給付の水準については事情が異なります。マクロ経済スライド(現役世代の減少や平均寿命の伸びに応じて、年金額の伸びを物価や賃金の伸びよりゆるやかに調整する仕組み)によって、給付水準は長期的にゆるやかに調整される方向にあります。つまり、「制度は続くが、受け取れる金額の水準は変わっていく」という整理が、より実態に近いと言えます。この2つを分けずに「維持できるか」を議論すると、話がすれ違いやすくなります。
数字で見る現在地
ここまでの章で登場した数字を、あらためて1つの表に並べておきます。個々の数字はすでに見たものですが、こうして並べると、社会保障をめぐる議論の全体像がつかみやすくなります。
| 指標 | 数値 | 出典・時点 |
|---|---|---|
| 社会保障給付費 | 138兆円 | 厚生労働省・財務省資料、2024年度 |
| 支え手の変化 | 現役世代2.1人(2020年)→1.3人(2070年)で高齢者1人を支える | 国立社会保障・人口問題研究所、令和5年推計 |
| 所得代替率の見通し | 標準的な前提で50%程度を確保 | 厚生労働省「財政検証」2024年 |
出典: 社会保障給付費138兆円・現役世代と高齢者・日本の年金はこれからどうなるのかで扱った数字の再掲。
3つの数字を並べると、構図が見えてきます。使う金額(給付費138兆円)は大きく、支える人数の比率は下がり続け、それでも給付水準は50%程度を確保する見通しが財政検証で示されている、という構図です。支え手の比率だけを見れば厳しくなる一方ですが、それでも一定の給付水準を保てるという見通しが立てられているのは、次に見る3方向の調整が、すでに制度の中に組み込まれているためです。
逆に言えば、この見通しは「何もしなくても自動的に実現する」ものではありません。給付・負担・支え手という3つのレバーを、これからどう動かしていくかによって、実際の姿は変わっていきます。財政検証の見通しは、複数の経済前提のうち標準的なケースの数字であり、経済成長が想定より弱ければ、より厳しい試算も同じ検証の中で同時に示されている、という点も付け加えておきます。
給付費138兆円という金額の大きさだけを見ると身構えてしまいますが、この金額の財源は、私たちが払う保険料がおよそ6割、国や地方の税金などの公費がおよそ4割です(厚生労働省)。つまり社会保障の持続性は、遠くにある制度の問題であると同時に、自分の給与明細や税負担ともつながっている、身近な話でもあります。給与明細の「厚生年金」「健康保険」という天引き項目を見るたびに、この表の3つの数字を思い出せると、ニュースの受け止め方も変わってきます。
調整の選択肢は3方向
支え手が減る中で制度を続けていくための調整は、大きく3つの方向に整理できます。
①給付を調整する。マクロ経済スライドのように、給付の伸びを物価や賃金の伸びよりゆるやかにする方向です。すでに制度の中に組み込まれている調整であり、追加の負担なしに収支のバランスを保つ効果があります。
②負担を調整する。保険料率や税負担を増やす方向です。給付の水準を維持しやすくなる一方、現役世代や企業の負担は重くなります。財源の内訳(保険料6割・公費4割)のどちらを、どこまで増やすかが論点になります。
③支え手と経済そのものを増やす。就業率を高める、人口減少への向き合い方を見直す、生産性を高めて1人あたりが生み出す価値を増やす、といった方向です。支え手の「人数」だけでなく、「1人あたりの稼ぐ力」を高めることも、このレバーに含まれます。
実際の制度は、この3方向のどれか1つだけで組み立てられているわけではありません。給付をどこまで抑えるか、負担をどこまで増やすか、支え手をどう増やすか。この3つをどんな配分で組み合わせるかが、社会全体としての選択になります。
どの組み合わせが望ましいかは意見が分かれるところであり、世代によっても利害の感じ方は変わります。給付の抑制は、いま年金を受け取っている世代により重くのしかかりやすく、負担の増加は、いま働いている現役世代により重くのしかかりやすくなります。支え手を増やす方向は、両方の世代にとって歓迎されやすい一方、実現までに時間がかかります。このページでは特定の組み合わせを推すことはせず、それぞれの選択肢が「誰に」「どんな形で」影響するのかを整理するにとどめます。
ここからは、基礎の一歩先の話です。読み飛ばしても本筋は追えます。
財政検証は、これからも繰り返される
財政検証は、法律で5年に1度行うことが定められている仕組みです。直近は2024年に行われたため、次回はその5年後、2029年ごろに実施される見通しです。人の体を定期健診で確かめるように、年金制度もこの周期で「健康診断」を受け続けます。
次の財政検証が発表されたときに確かめておきたいのは、所得代替率の見通しが50%程度からどう動いたか、経済前提がどう置き直されたか、そして今回このページで見た「支え手」の実績が、令和5年推計とどれくらい重なっているか、という点です。出生率や就業率が推計より上振れ・下振れしていれば、次の検証の数字も変わってきます。
1回の検証結果を絶対視するのではなく、検証のたびに一次資料の数字を自分で確かめ、前提が変わればその都度考え直す。これは、この講座で繰り返し出てきた姿勢そのものであり、社会保障というテーマにこそ、いちばん当てはまる考え方かもしれません。
財政検証の結果は、厚生労働省のウェブサイトで、報告書そのものが公開されます。ニュース記事の見出しだけで「大丈夫」「危ない」と判断するのではなく、所得代替率の数字がどの経済前提のもとでのものかを確かめる。それだけで、同じニュースの読み方が変わってきます。次の検証が公表される日を、あらかじめカレンダーに入れておくのも、一つの備え方です。
給付を調整する・負担を調整する・支え手と経済を増やす、という3方向のうち、自分はどの組み合わせなら納得できるでしょうか?
ヒント: 組み合わせによって、誰の負担が増えるかも変わってきます。あわせて考えてみましょう。
「社会保障が崩壊する」という見出しを見かけたら、まず何を確かめるべきでしょうか?
ヒント: このページの最初で分けた、2つの「維持できるか」を思い出してみましょう。